パッ…パパパパパルミジャーノ・レッジャーノっ!

パルミジャーノよりモッツァレラやリコッタが好きです

3か月経った

犬が亡くなってから3か月

 

残酷なもので仕事でくたくたに疲れているときは、電車で写真を見ても何も感じない

感じないように蓋をしてきたせいで本当に何も感じなくなってしまったのかもしれない

むしろ、この子は本当に存在したのかなとすら思ってしまう

あまりにも跡形もなくいなくなってしまったから

 

良い意味でも悪い意味でも慣れたということだろうな

 

でもやっぱり波はあって

亡くなった当日の朝のことを思い出すと涙が止まらなくなる

タブレットの壁紙に設定している写真に向かってごめんね、ひどいことしたねって言い続けている

向こうで待っててくれる?ってずっと聞き続けている

 

どうして旅行に行ってしまったのか

どうして最期、苦痛だけでも和らげてあげなかったのか

どうして聴診だけでもしなかったのか

何よりどうして最期一緒にいてあげなかったのか

子犬のころも思いっきり怒ったりたたいたり乱暴なことしたりひどいことしたな

 

時間を戻せるなら戻したい

うちに来たその日からやり直したい

 

本当に楽しいことがなくなったし

生きがいも希望もないし

どんなに健康に気を付けても死ぬときゃ死ぬし病気にだってなるし

前みたいに長生きしようとは思わなくなった

 

どうしてか気づいたら「死にたい」ってつぶやいている

心の中で繰り返している

多分本当に死にたいわけじゃない

もしかしたら言ってみたかっただけかもしれない

自分では多分死ねない

 

ただ、死んだらもしかしてあの子に会えるんじゃないかなんて思ってる

もう一度会いたい、が、死にたい、になってる

でも、希望も生きがいもない、というかやりたいことが無くなってしまった

だから本当にこの世に未練がない

 

過労でうまい具合に死なないかな

死ぬなら役に立ってからうまい具合に死にたいとは思う

 

もう一度会えないかな

でもあんなにひどいことした私を待っててくれるはずないよな

旅行から帰るのを待っててくれたのに私はほったらかしにした

最期まで苦しめた

最期までいっしょにいてあげなかった

 

こんどはもうひどいことしない

だから待っててほしい

もう一度会いたい